志ではなく、インセンティブではないか


最近、日本経済・社会の停滞を憂う視点からの著述・著作が多い。
それらに多く見られるのは、結局高い理念、志が大切、という論調だ。
しかし、本当にそうなのだろうか。

アメリカのトップビジネススクールであるWhartonであるが、ここの学生に「仕事のやりがい」について質問をして、まともな回答を得られることは皆無である。そもそも、彼らにとっては、仕事に関して「やりがい」という概念は存在しない(やりがいという言葉が英語にないのも事実)。敢えて言えば、”make a difference”(自分の行為によって社会にインパクトを与える、というニュアンス)というようなフレーズには、日本人が仕事においてイメージする「やりがい」に似たニュアンスが含まれるかもしれないが。

ともかく、彼らが考えているのは、いかにLife-workバランスが良くて、給料が良い仕事を選ぶか、ということだけである。「華麗なる一族」で描かれるような、鉄にロマンを感じる技術者、みたいな世界とは無縁。優秀な学生の多くが、ヘッジファンドやPrivate Equityの分野に進むが、彼らに理由を聞いても、その仕事が社会に与えるポジティブな影響、みたいなことに根ざす志望動機はまったく出てこない。たとえばヘッジファンドに進む奴らだと、「やっぱりLife-workバランスが」とか、「エキサイティングじゃない」とか、「勝ち負けがはっきりしていて、おれはそういう勝負が好きなんだよ」・・そういう感じだ。

一方、日本人の同級生と話をすると、どうしても「仕事のやりがい」についての話が多くなるし、いかに「仕事を通じて」社会と関わっていくか、という観点を全員持っている。あまりにも他国の学生と違うので、これは日本独特のことかもしれない。そして、そんな「志重視」文化だから、冒頭のような論調が多いのだろう。

この日本人の労働観の独特さは、やはり「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」なのかそうじゃないのか、とかそういう次元の話になると思え、またいつか書くとして、現実問題に戻ると、自分としては「志」の大切さを唱える前にやるべきことがあると強く感じている。それは社会の様々なレベルにおけるインセンティブのアラインメントである。つまり、日本人に志が不足していることが問題なのではなく、そういう彼らが動けない仕組みこそが問題なのである。

インセンティブ」というと、反アメリカ的資本主義者みたいな人たちが、金に釣られて行動することの卑しさを非難する傾向にあるが、インセンティブとは金銭インセンティブのことのみを意味するものではない。さらにいえば、今の日本のシステムこそが、金銭的なインセンティブによって、志ある行動を阻害する方向に作用していることが多いのではないか。拝金主義を非難する日本の普通の中流階級人たちこそが、金に(ものすごく)縛られているのである。

たとえば、日本の機関投資家の運用の下手さは歴史が認めるところであるが、その大きな要因として、運用担当者にとって、新しい手法等にトライするインセンティブが働いていなかった(サラリーマンだから、いい運用ができても給料が上がるわけでもなく、むしろ大きな失敗がないように職務を遂行することが、もっとも金銭的にも社内政治的にも利にかなっている)ことが挙げられている。「金がすべてだと思っていて、社会的視点が欠けている」、とホリエモンのことを批判するような人たちこそが、実は自分の生活を守るために日々、志のない行動に邁進してきた結果が今の日本経済の停滞なのではないか。

日本人が志を失いかけているのが問題ではなく、志をあまりに重視する文化であったために、個人のインセンティブと目指すべき成果とをすり合わせることの大切さを軽視してきたのではないか。そしてそれは社会のあらゆる側面において影響を及ぼしている。サラリーマン主義や、官僚主義・・・これらはすべてインセンティブの問題であり、志の問題にするのは酷である。志の欠如に加えて、妬みの文化、出る杭を打つ文化なども槍玉に挙げられている。しかし、「文化論」的な大きな問題にしなくても、インセンティブの整理・調整が少しでも進めば、かなりの問題が解決するのではないか。なぜなら、日本人の就業者の多くはすでにサラリーマン(または公務員)として非常に合理的な行動を取っているのであるから。

拝金主義的な面が多いことは否定しないが、それでもアメリカ的資本主義は日本社会よりもはるかにインセンティブの持つパワーを上手く使って経済をもり立ててきた。KKRなどがフロンティア精神をもって作り上げたプライベート・エクイティ業界のインパクトの大きさも、紐解いてみれば経営者・債権者・株主のインセンティブを上手くマネージする仕組みを作り上げたという一点に帰結する。こういう考えがいち早くアメリカで生まれ、日本では生まれようもなかったことは、(勿論、プライベートエクイティについて言えばその他の要因の方が圧倒的に大きいとは思うが)「志」に極端に依存する日本社会における人のマネジメントの硬直性・・・ないしは非科学性に起因すると思う。

実際、日本企業のマネジメントに目を向けてみると、形だけ導入してみた成果主義の失敗などに見られるように、インセンティブのアラインメントに対する取り組みにことごとく失敗している。不幸なのは、多くの場合、それが制度の設計の問題ではなく、文化の問題として語られてしまっていることである。確かに、人のインセンティブには金銭面だけでなく、文化と密接な関係のある人間関係面などの多様な側面がある。ただし、それにしてもMBAの最初の人事管理の授業で学ぶ、本当にシンプルなフレームワークによってすら、問題ありすぎ!と分析できてしまう日本企業の人事制度は多いと思う(少なくとも私の知る会社はそうだ)。終身雇用制度をぶっこわさない限りはダメだ、という極論に走るのは簡単だが、現在のいわゆる「日本的制度」を維持しつつも、その枠内で改善すべき点はものすごく沢山あるはずで、その改善効果は大きいと思う。文化や志、といったあいまいで情緒的な話に逃げないで、人が達成すべきことに向かって、気持ちよく邁進できるような「制度」の構築に、論理的な志向を持って地道に取り組むべき時がきている。