一時帰国


日本に一時帰国していました。

しばらく海外に滞在した後で日本に戻ると、新鮮な視点でものを見れるせいか、色々なことに気付きます。
大学学部時代、ロンドン留学時に一時帰国した際には、成田空港の「動く歩道」で、ラインの終わりが近づくにつれて「終わりが近づいてます。足元に気をつけて」みたいな趣旨のアナウンスが流れることにとても新鮮な驚きを感じた記憶があります。なぜか。そうアナウンスしなければ訴訟になるような国ではないのに。・・・自分なりの答えは日本人の集団主義、相互依存性。混雑した駅などで人に軽くぶつかっても何も言わずに通り過ぎていくのは、(都会ならではの)他者を個人・人として認めていないことの表れという見方もできるけど、実は「お互い様」と相互に依存しているようにも思える。丁寧なアナウンスも、「At your own risk(あなた自身の責任で)」の欧米文化とは全く対極の、個人の責任ではなく皆で助け合っていきましょう、という観念が表出したもののように思えたのです。

そんな経験もあり、今回の8ヶ月ぶりの帰国に際しても、新たな発見があるのではないかとひそかに楽しみにしていました。

その今回、まず感じたのは(ビジネスの勉強をしてきたせいか)日本人のOperation能力および効率性に対する意識の高さです。
最近の空港のセキュリティ・ゲートでは靴を脱いだりジャケットを脱いだりするのが一般化しつつありますが、どの空港もとりわけセキュリティチェックを通った後、服やかばんをピックアップして再度身につけたりするところがごった返しています。しかし成田空港ではコンベアを通ってきた荷物類がスタックすることのないようラインが90度に折れて延長してあったり、便利な位置に机がおいてあったりと、びっくりするほどスムーズでした。また、バッゲージ・クレームのコンベアにスーツケースを載せる際、極力立てて並べてあることにも気付きました。そうすることによって狭いスペースに大量のバッグを並べることができ、荷物を待つ時間が短縮化されています。

交通機関の優秀さはいまさら言うまでもないのですが、ここでも自分の8ヶ月間の米国生活における「変化」が見て取れました。これまでは山手線が目の前で発車し、ホームで3分程度余分に待つことが許せないくらい、時間を無駄にすることに神経質だったのですが、今回の滞在時には、ホームで電車を待つことに全くストレスを感じなくなっていました。アメリカでは何もかもが時間通りに運行されないため、常に10〜15分のバッファーをもって移動していることに慣れたせいでしょう。

次に印象的だったのは、物価の安さ。今の米国から日本に旅行すると、まるでバブル期の日本人が台湾とかに旅行したくらいに感じるのではないでしょうか。5ドルで立派な定食を、何も言わずにお茶やお冷がでる笑顔のサービスとともにいただける大戸屋・・アメリカならチップ込みで25ドル相当でしょうか。異様に質の高いものが売っている100円ショップは今の為替レートで言えば85セントショップです。アメリカでは85セントで購入できる物品をほとんど見たことがありません。ポケットの85セントは、「Spare some change please」といって紙コップを差し出してくる路上生活者にあげるくらいでしょうか。アメリカではサービスにお金を払うのに対して、日本では良いサービスはある意味で前提条件となっていて、後は製品のクオリティと価格との関係のみで競争が行われる。結果として価格競争が激化し、コスト削減の結果従業員の給料は上がらない・・・更に物価が下がる・・ という構図に見えてきます。

景気が良くなりつつある中でも労働分配率が上がらないのは、企業が利益体質を強化しようとしていることの現われだと思うし、国際的に日本企業の利益率が低いことからみても仕方のないことに思えます。ただ、私鉄が改札に「SUICA」タイプの機能の設置を進めていることにはやや違和感を感じました。あの投資は本当に回収できるのでしょうか。投資はそれによって生まれる収益によって正当化されるべきものですが、日本企業は「顧客の利便性の向上」(+それを通じた顧客満足度の向上→顧客の長期的ロイヤリティの確保)といったややあいまいな目的の元に設備投資をがんがん進めているような気すらします(最も、鉄道会社のこの種の投資に関しては、シナジー確保という名の下の非本業の拡大・企業規模の拡大→人の受け皿の拡大・・といった理由もあるように思えますが)。ちなみにアメリカの鉄道などは、信じられないくらい古い車両を長期で使いまわし、何十年も同じ改札システムを使っています。そもそも鉄道はほとんど独占的な業態であり、利用者はどんなに嫌でも代替手段を持たないことはほとんどなので、顧客利便性を向上するというインセンティブアメリカ企業には全くないのでしょう。

個人的には、アメリカが「株式資本主義」といわれるのに対して、日本は「高サービス資本主義」ではないかと思っています。アメリカでは企業が株主の利益を最重視して経営し、顧客の利便性向上のための投資ははあくまで利益拡大が見込める場合にのみ実行され、利益確保のためには従業員もさっさと解雇します。しかし一方でその同じ従業員たちは、株式投資を通じて企業収益の向上を株式リターンの向上により享受しているという構造ができています。一方日本は、従業員は長時間、低収入で働きますが、その結果企業は非常に質の高いサービス・製品を低コストで世に送り出し、低収入に甘んじる人たちもクオリティの高い生活を低コストで享受しています。

日本企業の伝統的な低利益率がこのような社会構造に起因するとしたら、現在世界的に進んでいる金融市場の統合により日本企業が米国企業並みの株主リターンを確保すべく、利益率向上に励んでいった場合、何が起こるのでしょうか。サービス・製品のクオリティを下げる結果につながるコスト削減を行うと、競争に負けて売り上げ自体を失うことになるので、まず削減されるのは労働者に対する賃金・・。これが更にサービス・製品への価格下落プレッシャーにつながる、ということが、現実にすでに起きているのではないか、そう感じました。

個人的には、金を払わなければ快適な生活を得られないアメリカよりも、お金がなくて松屋豚丼しか食べられなくても、十分おいしい上、「ありがとうございました!」と気持ちの良い笑顔を交わせる日本がはるかに住みやすい社会だと思います。金融市場の統合が、これまでは可能だった「違う種類の資本主義」の均質化を進めることは間違いなく、これが上記のより生活実感のあるレベルでどう影響してくるかに興味があります。